引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬入りしました。
その際に「内国産種牡馬は繋養しない」という方針を貫いていた当時の社台ファーム総帥吉田善哉と、「サッカーボーイは種牡馬として絶対に成功する」と主張した吉田勝己(吉田善哉の次男)の衝突がありました。
当時の社台スタリオンでは四冠馬ミスターシービーを唯一の例外として、当時の社台生産馬の出世頭だったアンバーシャダイですらグループ外の牧場に繋用されるなど、種牡馬のラインアップは輸入馬で固められていました。
このとき善哉は
「内国産馬と輸入馬との間にはまだまだ大きなレベル差がある」
と主張しましたが、これに対し勝己が
「天下の社台ファームが内国産種牡馬を育てられないようでは情けない」
と主張し、この勝己の熱意に善哉が折れ、サッカーボーイの社台スタリオン入りが決まったというエピソードがあります。
こうしてサッカーボーイはGI昇格後の阪神3歳ステークス勝利馬で種牡馬になった数少ない馬の一頭となりました。
これまでに4頭のGI馬をはじめ多数の重賞馬を輩出し、同期のオグリキャップ、スーパークリークらと比べて圧倒的な繁殖成績を残しているように、勝己の相馬眼が当たった結果となりました。
2000年からはブリーダーズスタリオンステーションに移動しています。
また、甥のステイゴールドがブリーダーズスタリオンステーションにスタッド入りした際にサッカーボーイがステイゴールドを威嚇したというエピソードもあります。
2006年末、種牡馬シンジケートを解散。
2007年シーズンは社台スタリオンステーション荻伏で種牡馬生活を送りましたが、2007年8月25日に生まれ故郷である白老ファームに移動、2008年シーズンから再び社台スタリオンステーションにて種牡馬生活を送っています。
サッカーボーイ自身は、現役時代マイルから中距離で活躍しましたが、血統はサンクタスからファイントップに遡る長距離血統で、ヒシミラクル、ナリタトップロード、キョウトシチー、アイポッパー、ゴーゴーゼットなど長距離馬を多数輩出し、中央競馬で1600mの重賞を勝ったのはブルーイレヴン一頭だけです。
また母の父としてもツルマルボーイ(安田記念)、チョウサン(毎日王冠)、メジロマイヤー(きさらぎ賞、小倉大賞典)を送り出し成功しています。
サッカーボーイ引退後
posted by 競馬 at 21:25
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