サッカーボーイは自身の強力な脚力のために裂蹄を起こしやすいという欠点をかかえていました。
弥生賞で3着に敗れると、石を踏んでさらに蹄が悪化、蹄が感染症にかかる飛節炎を煩い、予定していた皐月賞を回避。
ここでサッカーボーイ陣営は日本ダービーに間に合わせるため飛節炎の治療を急ぎ、抗生物質を大量に使用、その影響からか体調が悪化してしまいました。
それでも陣営はダービーを目指すため調整し、内山騎手に代わり鞍上に河内洋(現・調教師)を迎えダービートライアルのNHK杯に挑みましたが4着、東京優駿(日本ダービー)でも一番人気に推されたがサクラチヨノオーの15着に惨敗しました。
河内洋はこの惨敗についての原因を「距離の長さ」であると語っています。
春のクラシックは不本意な成績に終わったサッカーボーイですが、関係者の努力もありようやく調子が上向いてきます。
中日スポーツ賞4歳ステークスでは、勝ちパターンに持ち込んでいた皐月賞優勝馬で後に天皇賞(秋)も制すヤエノムテキを並ぶ間もなく差し切り復活。
次走の函館記念ではメリーナイス、シリウスシンボリの2頭の東京優駿(日本ダービー)優勝馬に加えて牝馬クラシック二冠馬のマックスビューティが出走していました。
このレースでサッカーボーイは直線でメリーナイスを差し切りそのまま一気に突き放し、5馬身差で1分57秒8という当時の日本レコードで優勝した。このレコードタイムは現在も函館競馬場のコースレコードです。
調教師の小野幸治は、秋に菊花賞を使うか天皇賞(秋)に使うか迷っていたそうですが、捻挫を発症しどちらとも回避してします。
復帰戦はマイルチャンピオンシップが選ばれました。
前走スワンステークスを勝って2番人気だったシンウインドを寄せ付けず、ここも4馬身差でGI2勝目を上げました。
次走は第33回有馬記念に出走。タマモクロスとオグリキャップの対決となったこのレースは、ゲートで暴れて鼻血を出すアクシデントがありましたが、3位入線のスーパークリークが進路妨害で失格(当時は降着制度がなかった。)したこともあり繰り上がりの3着に善戦しました。
翌年も現役続行の予定でしたが、骨折しそのまま引退しました。
サッカーボーイの4歳時
posted by 競馬 at 20:34
| サラブレッド

