サクラチトセオーの5歳の春シーズンはナリタブライアン、ヒシアマゾンの不在もあってGI戦線の主軸を担いました。
しかし1番人気に押された安田記念では最後方から追い込みながらハナ差届かず2着で初GI制覇はならず。
続く宝塚記念も1番人気だったが、高速馬場で先行馬が前残りとなって7着に追い込むのが精一杯でした。
この後休養明けの秋初戦となった毎日王冠は重馬場に苦戦しながらも4着。
そして2度目の天皇賞(秋)挑戦を迎えることになります。
天皇賞(秋)を前にして主戦の小島太騎手が調教師転向を表明。
翌年2月限りでの引退がほぼ濃厚となりました。
これで陣営としてもGI奪取へ後がない状況となりました。
故障で戦線を離脱していたナリタブライアンがぶっつけでの挑戦を表明し、ファンも1番人気に支持。
そしてサクラチトセオーが2番人気に支持されました(2番人気だったマイシンザンが出走取り消しの為、3番人気からの繰り上がり)。
追い込み馬に不利な最内枠からの発走でしたが、道中17頭中16番手を追走し、小島自らも「スタンドに馬をぶつけに行くつもりで大外へ出した」と最後の直線だけで15頭をごぼう抜きし、粘りこみを計るこの年の皐月賞優勝馬ジェニュインをハナ差差し切って優勝しました。
先行馬優位な展開の中での大逆転劇、そして小島が引退表明直後だっただけにファンの歓声も大きかったです。
この2週間後にエリザベス女王杯を制したサクラキャンドルと共に、小島の引退の花道を飾った名兄妹として記憶されています。
1995年12月の有馬記念では人馬共に最後のGIとなりましたが、ここでも先行馬優位な展開の中3着まで追い上げる健闘を見せました。
これを最後に引退し種牡馬生活に入りました。
サクラチトセオー5歳時から・・・
posted by 競馬 at 02:22
| サラブレッド


