・単勝120円は、2005年にディープインパクトに破られるまで菊花賞最低単勝配当でした。
・キタノカチドキは気性的に荒いところがあり、実際、関東初遠征の緒戦となったスプリングステークスでは、ゴール後の第1コーナーを回り切れないという珍事を引き起こしています。
ちなみに、キタノカチドキは良くも悪くも母の影響をかなり受けていたようで、事実ライトフレームとその姉もキタノカチドキと同じ死因(心臓麻痺)で急逝しています。
・スタートで飛び出しつつすぐさま控え、道中好位置をキープしながら、直線半ばで抜け出すスタイルの「好位差し」戦法を得意としていましたが、当時の日本の競馬では極めて斬新な走法であり、当馬が日本の競馬のスタイルそのものを変えたと見る向きも大きいようです。
・1975年の春の天皇賞出走後は脚部不安に悩まされ、陣営としては同年のシーズンはそのまま休養に充てたかったようですが、同年の有馬記念においてファン投票第1位で選出された事や、当馬が出走しなければ関西馬の同年有馬記念出走馬が不在となる事から出走を決意した模様です。
しかも関西馬の出走はキタノカチドキだけだった事から、8ヶ月ぶりの出走にも関わらず2番人気に推されるも、レース中に骨折していた事も災いして8着大敗。
同馬として競走生活ではただ一度、着順掲示板を外すという成績に終わってしまいました。
・1974年の菊花賞は、同年の日本ダービーで敗戦を喫して全勝記録が途絶えた事から、鞍上の武邦彦騎手が「勝ち方はともかく、カチドキを絶対に勝利へと導かねばならない」という不退転の決意を持って挑んだレースであり、キタノカチドキは直線に入って外に膨れたりするなど、これまで当馬が積み重ねてきた勝ち方とはおよそ違う内容の一戦となりました。
しかしながら、福永洋一騎手騎乗のバンブトンオールの追撃を退け勝利。
そしてレースが終わり2コーナー付近近くまで馬を行かせた時点で、武が手に目をやるシーンが関西テレビの中継でアップされました。
武はその時の事を後に聞かれ、「目にゴミが入ったから」とそのシーンを述懐したが、実はうっすらと嬉し涙を浮かべていました。
キタノカチドキエピソードの数々
posted by 競馬 at 23:13
| サラブレッド


