キタノカチドキ引退までの経緯

1973年9月19日の新馬戦(阪神競馬1200m)を楽勝しデビュー戦を飾ったキタノカチドキは、次走は重賞・デイリー杯3歳Sに挑戦しました。

枠入り不良の為に発走が9分遅れるアクシデントがあったものの、キタノカチドキは重馬場を苦にせず2着に9馬身差をつける圧勝でした。

その後、手薄のオープンを楽勝し、関西3歳馬ナンバーワン決定戦・阪神3歳ステークスに向かいました。

このレースを2番手から直線抜け出し、快速で知られるイットーを3馬身突き放して勝利したキタノカチドキは、この年の最優秀3歳牡馬に選ばれることとなりました。

翌年(1974年)、緒戦のきさらぎ賞を楽勝すると、縁起を担いで大安の3月20日に東上。
関東初見参となったスプリングSを完勝したキタノカチドキは皐月賞に出走。
日本初のシード馬に指定されました。

このレースを好位差しで2着馬コーネルランサーを1馬身半差で快勝。
7連勝で日本ダービーに挑むこととなりました。

ところが、手綱を取った武邦彦騎手が「不安を通り越して、恐怖を感じた」と発言した大本命ゆえの不安・厩務員ストによる日程変更・外枠発走(7枠19番)と様々な条件が重なったうえ、最後の直線でヨレたのが致命傷となり、優勝したコーネルランサーから1馬身離された3着に敗れました。

ダービー終了後、暑さのために一時は夏負け一歩手前まで体調を崩したものの、涼しくなってから急速に回復したキタノカチドキは神戸新聞杯・京都新聞杯を快勝。

こうして迎えた菊花賞では、圧倒的1番人気に応え快勝し、同年の年度代表馬を受賞しました。

テスコボーイ産駒としては、ホクトボーイ(トウショウボーイの同期)と並び最も距離に融通性を持っていました。

しかし、古馬になってからは優勝レースがマイラーズカップしかなく、天皇賞ではイチフジイサミに直線で競り負けて敗れ、ラストランとなった有馬記念では競走生活唯一の着外、菊花賞4着で挑戦した勝ち馬イシノアラシに遅れを取る8着に敗れました。

レース後、競走中に骨折を発症していた事が判明、キタノカチドキは引退することとなりました。
posted by 競馬 at 09:32 | サラブレッド